Virtual Hitsuji House

インターネット羊小屋

【R18】エッチな二次創作スケベ小説の書き方 覚書【BLD】

 

⚠️ここではR18BL夢小説の表現を引用しているので18歳以下の人は読まないでね!⚠️

1. はじめに

「推しのエッチな姿が見てえ~~~でもスケベを書く体力がねえ~~~」と泣き言を言い続けてはや数年。それでも自分が読みたいスケベは自分で生み出すしかないので、練習を始めた。そうやってここ数か月のあいだ(筆の遅い自分にしては)コンスタントに小説を書き続けていたら「スケベ小説ってどうやって書いてる?」という話になったので、自分なりの傾向と対策をメモしてみる。

これは別に「これを読めばみんな簡単にR18二次創作小説が書ける!」という類のものではないし(そんなものはない)、今でも私は「ハァ?人間の身体の可動域超えとるが!?」とか「誰やこんな脱がせにくい服着せたん!!私か!!!」と苦しみ暴れながら書いている。そもそも創作の思考と出力方法は人によって全く別物なので、私がいいと思った方法が他の人にも有用であるとは限らないし……。

だからこれは創作論というより「私はこういう感じで書いているよ」という個人的な備忘録です。オタク向けのエッチな小説の書きかたに関してはすでに

のようなまとめや講座がたくさんあるので、自分にあいそうなハウツーを探してみるといいかも!

ちなみに私は「頭の中の映像を文字おこしするタイプ」の字書きで、メインは夢小説を書いている。最近は「プロットを立てられないので話の終着点がわからない」のと「気を抜くと文章が冗長になりテンポが悪くなる」のが悩みで、三ヶ月ほど前からとりあえず書き続ける練習をはじめてみた感じ。

前提として、この記事は「巧いエロ小説を書きたい」人向けではなく、「推しCPのエロが読みたいが求めているものがない」人や「手あたり次第読み尽くしてしまいもう自分で書くしかない」人の最初の一歩を応援するために書いたものです。

 

⚠️ここではR18BL夢小説の表現を引用しているので18歳以下の人は読まないでね!⚠️

  • 1. はじめに
  • 2. アイデアとリビドー:絶対に書きたいテーマ・シチュエーションを決める
  • 3. 言語化と書き出し:開始五秒で濡れ場が始まらない
    • 3-1. 物語の視点と人称
    • 3-2. 文章の構成と書き進め方
    • 3-3. 書き出し
  • 4. 濡れ場を書く
    • 4-1. スケベの方向性と雰囲気選び
    • 4-2. スケベな語彙力と喘ぎ声
    • 4-3. 会話と五感描写と「エロマトぺ」
      • ①前戯
      • ②挿入もしくはそれに準ずる行為
      • ③フィニッシュおよび事後の描写
  • 5. おわりに
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ツイステッド半年待ったエンディングを経て推しがサンドバッグになったので自問自答をするワンダーランド

解釈違いという言葉を使いたくない

しかしツイステ五章を読んでから丸一日飯も食わずに泣きながら過ごしたので、助からなくてもいいからせめて気持ちの解体をしたい。もう情緒めちゃくちゃオブザイヤーやでホンマまだ一月やぞ勘弁してくれ。

※この先メインストーリーに加え、パソストやホーム画面セリフのネタバレを含みます。

自分の気持ちが落ち着くまで思考を繰り返しているので内容が変わります(2021/04/27:8000字ほど追記し現在17000字) 。基本的にルーク・ハントの話。また、これを書いた目的は己の感情の解体なので「感情」が混入します。考察でもなんでもなく「己の感情を整理するため」に書いた文章です。

 

ルーク・ハントがネージュの古参ガチファンだったことが不満か?

NO. むしろ道理にかなっていると思う。ネージュは一貫して純粋で可憐で美しい魅力あふれる人間として描かれ、ルーク・ハント自身も彼について

ああ……彼の唇は赤い薔薇、髪はくろぐろと輝いて、可憐な笑顔は誰をも魅了する……。ライバルながら、実にボーテ!*1

と言及している。

私は、美しいものはなんでも好きだけれど……。*2

どんなに探究しても美のすべてを知ることはかなわない。だからこそ、私は美の虜なのだろう。*3

たくさんのものを見てたくさんのことを感じるといい。感性を磨くことは美に繋がるよ。*4

人が持つ本来の美しさが静的美、人の成長がもたらす変化の美しさが動的美。キミの美はどちらだろうか?*5

これまで提供されたメインストーリーやパーソナルストーリーの中で、ルーク・ハントは彼自身が「美」という概念そのものを愛好している人物であるように描かれている。そんな彼がネージュのファンであること自体はなにも不思議ではない。

個人的な感情の話をすれば、ルーク・ハントは「特別がたくさんある」または「すべてを同じように愛している(博愛主義かと言われるとまた少し違う)」と思っていたタイプなので、その点についてショックが大きかったのだろう。ヴィルやレオナに対するのと同じように、ネージュの「美」も愛しているのだと思っていたからだ。

ふふふ、キミたちにもいつかわかる日がくるはずだよ。

目もくらむほどの美しさで人生を明るく照らしてくれる……そんな存在に出会った時にね。*6

てっきり今日までこれはヴィルのことを指しているのだと思っていたけど、

私は、あなたの美しさで人生を照らされ、希望を胸に生きられるようになったひとりです。*7

投票後こう言っていることから5-27の時点でネージュのことを指していたのかもしれない。ネージュが原初の「救い」で「目覚め」だったのか……。

一番最初に出会った「光」が強いのはわかる……わかるっていうのは「理解できる」という意味であり「消化できる」という意味ではありません。半年待ったシナリオで、推しが第三者モチーフのベッドで寝ていることを知らされるイベント、何!?!?!?(お気持ち感想文)

 

キャラクターの露悪的な描きかたが不満か?

NO. それにしてもネージュの表象は章を通してものすごく露悪的だったな。

国民的ヒット曲っていうのは、ただ格好いい、ただ美しいだけじゃ生まれない。若者だけでなく、子供からお年寄りまで愛される”親しみやすさ”がなくちゃダメなんだ。*8

無邪気な笑顔を浮かべることができ、親しみやすさがあり、「学校の友達と思い出づくりをしたかったからVDCに出ようと思った」、「世界中の人と楽しみながら思い出を作りたかった」とインタビューで答えることができる愛らしい子。*9

ヴィルがどんなに求めても手に入れられなかった「愛らしさ」という力を持って生まれ、「確かに僕らはこの大会で一番になったけど、ヴィーくんたちに投票した人たちにとっては、君らが”世界一”なんだ」*10 と心から言える、ずっと一番の子。ネージュは徹底的に「悩みのない、無垢な持てる者」に見えるように描かれている。

もちろんネージュも努力していて、苦労もあるのだろう。VDCのリハーサル後、まず「スタッフのみなさん、リハお疲れさまでした!」と声をかけるあたり、業界で生きる人間としてきちんと気が回せるタイプっぽいし。

しかしそれがプレイヤーに明かされることはない。だからヴィルが(恐らく)悪役っぽいイメージを緩和するため子供の頃にフェミニンな話し方に切り替えたり、幼心に「最後まで舞台に立ちたい」と願うような経験をするのを「観て」きたプレイヤーのヘイトは、自然とネージュに集まっていく。本来は知るはずのない「舞台裏」を「観て」きたから、「努力が可視化」されているヴィルのほうに心を傾けさせられる。

この流れは二章のファレナ(およびチェカ)とレオナの関係性や、四章のカリムとジャミルの関係性でもやってたね。

しかしこの二組と五章の二人の関係性には違いがある。

レオナ:何故、俺は第二王子に生まれた?何故、俺は永遠に一番になれない?――人生は、不公平だ。*11

ジャミル:カリム、お前がいるだけで、俺は……俺は、ずっとお前に譲って生きていかなくちゃならない!俺は、俺だって……一番になりたいのに。*12

「カリムとジャミル」と「ファレナ(およびチェカ)とレオナ」は、生まれた時点で「権力」を軸にした「力関係」や「社会的立場」が発生し、それによって「承認されない」「一番になれない」ことが苦しみの元になっている。

対して「ネージュとヴィル」の間に権力的な力関係は(恐らく)存在しない。*13 

撮影スタッフB: やっぱりネージュはすごいな。あの愛嬌とピュアさは生まれ持っての才能だよ。

撮影スタッフA: ライバル役を務めたヴィルも、大したもんだ。まだ12歳とは思えない貫録を感じさせる演技だったよ。彼もいずれ主役を張るようになるだろうね。

撮影スタッフB: でも……ヴィルはなぁ。いろいろ整いすぎているというか……浮世離れして綺麗だろう。視聴者に親しみを感じさせる”普通のティーン”を演じるには、ヴィルは特別すぎる。リアリティーがない彼には一生、主役だけは難しいんじゃないか?*14

それどころかヴィルは「世界一可愛い」「特別美しくて、素敵な」「本物みたいな演技のできる」男の子で、その役者としての能力は社会的にも認められ、評価されているように見える。*15 ではヴィルの根源的な欲求は一体何なのか?

アタシ美しくなるためならなんだってする。きついトレーニングも面倒なトリートメントも、美しくなるためならちっとも辛くない。なのに…………どうして?いつも選ばれるのは、アタシじゃない!アタシはただ……最後まで舞台に立っていたいだけなのに。*16

それは「最後まで舞台に立っていること」で、「一番になりたい」というものではないのだ。*17 ヴィルはメインストーリー5-45 青春ファイト!で「だからアタシは誰にも負けないように美しさを研ぐ。世界で一番になるためにね」と言っているが、ここにおける「一番」は「他者との比較」ではなく「全てを圧倒する力を手に入れるための己の研鑽の結果」という風に読みとった。

つまり、ヴィルの「欲求」は、他者からの承認によって満たされるものではない。ヴィル自身が己のことを認められて、初めて成立するものなのだ。

レオナとジャミルの苦しみには、ファレナとカリムの存在が付随する。しかしヴィルの苦しみは、ネージュがいなくても発生しうるものである。そこにネージュという「愛嬌と無垢さ」を生まれ持った「視聴者に親しみを感じさせる」人間がいるから対立構造が発生しているだけで、別に彼だけが主役候補を争う相手ではない*18

それにここでネージュとヴィルを分けているものがあるとすれば、それは「美しさ」ではなく「愛らしさ」であると言えるだろう。

アンタは”愛らしい”と”強い”が別物のように話すけど、その2つはどちらも等しく”パワー”よ。*19

そしてヴィルはそんな「愛らしさ」の持つ力を理解しているからこそ、天性の「愛らしさ」を持つエペルを鍛えようとする。ヴィルは「愛らしさ」の強さを知っているが、己の「美しさ」という武器の強さも理解しているので自分を「愛らしく」しようとはしないのだ。

純粋無垢なものが一種の「傲慢さ」や「暴力的な強さ・正しさ」を持つことは否定しないが、ツイステ内では意図的に「愚か」だったり「何も考えていない」ように描かれがちだ。そしてツイステ世界の構造上、プレイヤーはヴィランモチーフの生徒たちの側からそれらの事象を観測することになるので、彼らに「不信感」や「嫌悪感」を抱くことになる。

ヴィランモチーフのキャラクターがメインの世界の描きかたとしては妥当で”厭”なやり方だ~~~!逆張りなのか?それにしてはこう……扱う手付きが不安というか、物語の中での好感度コントロールが下手

「露悪的」といえば、これまで秘密主義的な描かれ方をし、ほとんど個人的な情報が開示されなかったルーク・ハントの個人的な情報がネージュによって開示される構造なのもその一種なんだろうか。しかしルーク・ハント自身、二年間隠していたにしてはアルバムも言われたら見せそうな態度だったり、毒林檎ジュースのときも先に「ネージュくん」と呼びかけてから「白雪の君」と口にしているんだよな……。

 

ルーク・ハントがRSAに投票したことが不満か?

NO. もちろん心情としてはヴィルに報われてほしい気持ちはあったが、世界の構造上ヴィランモチーフのキャラクターたちが集まるNRCがRSAに勝つことはない。それにルーク・ハントの「一票」も観客の投じた「一票」も一票の重さは同じであり、別にルーク・ハントの「一票」が勝敗を分けたわけではない(心情的には「そうである」と思わされるような流れになっている)。

信じたかったからさ。誰よりもひたむきに努力し、高みを目指していたキミを。*20

とヴィルの前に立ちはだかり、同時に「狂おしいほど美への執着がこもった毒の果実の味」を味わってみたかったと言い切ったルーク・ハント。あのシーン、すごくよかった……興奮した……(このときも情緒がめちゃくちゃになった。これはいい意味で)。

しかし「事件」は未然に防ぐことができても、この時点でヴィルの美は傷ついてしまった(そして本人もそれを自覚していて、オバブロの引き金になっている)。

世界中の誰が許しても、アタシは、アタシが許せない!*21

このオバブロの過程はすごくよかったし、様々な「配慮」を感じた。そういうのできたんやね。ヴィルは自分自身の手で、これまでただひたすらに磨き上げてきた己の矜持と美しさを傷つけてしまった。そしてその事実に彼自身も傷ついた。

魔法で取り繕った美は、一瞬夢を見せてくれるでしょうけど……。アタシは、午前0時の鐘で溶ける魔法に興味はないの。偽りのない純粋な美しさを手に入れたい。*22

ここで述べられている「魔法で取り繕った美」は「肌や髪を魔法でパパっと綺麗にする」ことを指しているので少し文脈がズレてしまうが、ネージュに勝つため「ユニーク魔法」を使った時点で「偽りの美」になってしまった。そのためヴィルの傷はオバブロ状態から戻っても、無事にパフォーマンスを終えても消えることがない。

最高のパフォーマンスができた後も、ヴィルは心のどこかで自分を許すことができずにいる。そういうストイックさが、今のヴィルを作り上げてきたからだ。

いつも言っているけれど、私がキミを見ている時間はキミが鏡で自分を見ている時間より長い。*23

もちろんルーク・ハントもそれをわかっていた。

私はルーク・ハント。美を求め、美を助くことを人生のテーマとする。『愛の狩人』さ。*24

そしてルーク・ハントはヴィルの強さをよく理解している。

ヴィルは私が守る必要など全くない。

私が守りたいのはヴィル自身ではなくヴィルの持つ「美」なのさ。*25

ルーク・ハントが「美を助く愛の狩人」である以上、「勝つこと」が目的になり、己を一度でも疑ってしまったヴィルに投票することはできない。そうやって手にした勝利はいずれヴィルを勝利という名の玉座に縛り付けることになり、結局「他者からの評価の上で成り立つ美」から逃れられなくなってしまうからだ。

インスパイア元のEvil Queenと違って、ヴィルはそもそも彼の思う「一番」になれたことがない。Miraに問う「今この時、最高に美しいのは誰?」の答えはいつもネージュで、合宿中にオファーが届いた超人気映画『レジェンダリー・ソード』の続編の主演もネージュ。

――努力すれば報われるだなんて、甘えないで!!!*26

ヴィル自身がこう口にしているように、努力をすれば必ず報われるわけではないのだ。

…………努力すれば報われるのはおとぎ話の中だけよ。*27

何故なら彼らは「おとぎ話」ではなく「現実世界」に生きているから。まず最初に「ネージュに勝たなくてはならない」という呪いを解かなければ、例え「一番」になっても心は満たされず、今度は「失う」「奪われる」ことを恐れるようになるだけ。それは「美」とは程遠く、ヴィルを苦しめ続けることになる。だからルーク・ハントはヴィルに投票することができない。私はそういう読みとりかたをした。

 

五章を通して、ルーク・ハントは何度も思案の表情を見せる。

5-8 決意リベンジ!
中庭の井戸の側で歌の練習をしていたエペルが、練習を中断して監督生たちと話しているところを見つけたヴィルに叱られ連れて行かれる。そんなエペルの様子を思い出しながらVDCか……と考え込むデュースを見た後のこと。まだ名前は表示されず、シルエットのみで「……ふぅむ、なるほど……」と呟いている。そしてオーディション後、「………………なるほど、なるほど」と何かを心得たように頷いたルーク・ハントは、ヴィルに「フフ……歪な原石に秘められたポテンシャル、私は最後に踊った1年生たちに感じたよ」と提案を行うのだ。*28 

5-23 渋面オファー!
映画の出演オファーに関するマネージャーからの電話を切り、心配するカリムに対して「大したことじゃなかったわ」と答えた後。電話の中で「キャストによっては考えなくもない」と言っていたヴィルは、主演がネージュであると知り出演を拒否する。そんなヴィルを見て、ルーク・ハントは無言で考え込む様子をみせる。耳のいいルーク・ハントには電話の内容が聞こえていたと仮定した場合、ここで彼は「ヴィルがネージュに拘り、己とネージュを比べていること」を再確認したようにも思える。

5-60 旋律ピースフル!
RSAのリハーサルを観たあと先に控室に戻ると言って去っていくヴィルを見て、険しい表情を浮かべて黙り込む。ヴィルの様子がおかしいことを案じているのもあるが、「……見る価値のないお遊戯だった」という言葉でヴィルの次の行動に見当をつけたのではないだろうか。何故ならヴィルは本来、どれだけ普段わだかまりがあったり思想が相容れなかったりしても良いものに対しては「良い」と評価を送ることのできる人間だからだ。*29 そしてネージュに林檎ジュースを手渡そうとしたヴィルの前に現れた。

5-71 投票ジャッジメント
VDCの本番を終え、投票の時間を迎えたとき。「そうね。持てる力は全て出しきった。……今度こそ、世界一になってみせる」と呟くヴィルを見て、微笑みながらなにか思案するような素振りをみせる。かつて「実力のある人間ほど自分に投票できない場合もある」*30と言っていたヴィルが自分自身に投票することができることを喜びながらも、自分はどちらに投票するか決意したのではないだろうか。

ルーク・ハントが思案するとき、彼はいつも「他者」、とくに「これはヴィルにとっていい影響を与えるだろうか」ということを考えているように見える(贔屓目です)。

それをわかっているので、ヴィルもルーク・ハントの提案はいつも素直に聞き入れているし、彼の判断基準を「信頼している」と口にする。

五章の中で何度か思考の渦に呑まれて闇落ち(便宜上の表現)しそうになるヴィルを現実世界に引き戻すのも、ルーク・ハントの役目だ。*31

不満があるとすれば「出場者も投票できる」クソシステムに対してかな~。ビジネスチャンスに繋がる若者たちの登竜門というのなら、出場者に投票をさせるな

レオナの「利権が絡むVDC」発言や「投票システムが(イデアインターンの案内を受けとっていた)オリンポス社」であること、そして「何故かデータだけふっとんだ(のでイグニハイドに解析を頼む)」ことが次章への繋ぎとして使われている以上、そこは仕方がないのかもしれない。でも監督生受け入れのときもハロウィンのときも言うたやろ。大人と社会、ちゃんとせえ。

 

あのタイミングでルーク・ハントがネージュのガチファンである情報が開示されたことが不満か?

YES. ルーク・ハントが「ネージュのファンであること」と「RSAに投票をしたこと」自体は、これまで提示されてきた彼の美学や在り方に即していると思う。

問題なのは、「一票差で負けが決定した直後にルーク・ハントがネージュのファンであるという情報が開示された」ことだ。

ルーク・ハントはネージュのファンであることを隠していた。ネージュのファンクラブがここ数年で設立されたとも思えないし、二番という驚きのファンクラブ会員番号から想像するにルーク・ハントはかなりの古参ファンなのだろう。ヴィルと出会い、隣に並び立つようになってからもずっと、ルーク・ハントはその事実を隠し続けてきた。

それを「副寮長として徹底的に公私を分けていた」と思うか「ヴィルの友人であり一番近くにいる存在として不誠実な行いだった」と思うかは人によるだろう。

我が寮の規則は厳しいほうかもしれないが、それがヴィルのこだわりというのなら従って当然さ。

寮長に恥をかかせるような真似だけはしない。それが副寮長としての私の矜持だよ。*32

これまでヴィルをだしにネージュとお近づきになろうとしたような形跡も(悪魔の証明ではあるが)ない。それなのになんでよりにもよってその最悪のタイミングで情報の開示をするんだよ……。ついこのあいだ

それにね、秘密は秘密のままのほうが甘美なものだよ。*33

って言うてたやんか……。どうして……。せめてシナリオに説得力をくれ。オートで七時間のシナリオで最後っ屁みたいな情報開示をするんじゃない。でも別に全ての物事に意味があるわけじゃないんだよ。そうだね……。

……ハァ、酷い男。最後の最後に、とんだ裏切りだわ。

……ズッ、私がロイヤルソードアカデミーに投票したことと、私がネージュのファンだったこととは関係ない、私は……。

ストップ。アンタがそういうタイプじゃないことくらい言われなくてもわかってる。馬鹿にしないで。*34

 ルーク・ハントとヴィルにはこの関係性が”ある”。

ヴィルが「それまでの自分の人生と合宿での仲間たちとの努力」を「裏切って」も、ルーク・ハントが「ヴィルが人生をかけて向き合ってきた相手の率いるチームに投票する」ことで「裏切って」も崩れず、まだ肩を並べて涙を拭いあうことができる信頼関係が。

でもこのタイミングでルーク・ハントがネージュのガチファンであるという情報を開示したら、説得力が揺らぐやん。本当にルーク・ハントは100%ヴィルの「美」のためにRSAに投票したのか?そこに一切の私欲なしで「パフォーマンスとして完成度が高いNRC」より「お遊戯会」を選んだのか?

ここで私が「ルーク・ハントなら選べる」と迷いなく思うのは、私が彼の「ファン」だからじゃない?別に「ファン」だからといって盲目的に全てを肯定するわけではない。でも多くの「ファン」は推しに夢をみているし、応援したいと思っているものだ。

いくら本編で否定されていても、そもそも彼らの物語を消費しているプレイヤーの多くが「推し」を抱えるオタクである以上「ネージュがネージュとしてそこに存在するだけで美しく・尊く見える贔屓目」が発生するのでは?と思ってしまうし、それによってこれまでわずかな情報をかき集めて構築されてきた「ルーク・ハントの美の価値観」とか「美に関して公平で真摯に向き合う像」が揺らいで「疑い」が生じる

この長期間ずるずるとストーリーの配信を長引かせたのにほとんど情報が開示されてこなかった中で(勝手に)築き上げてきたルーク・ハント像の根幹が揺らいでしまうのだ。あの茶番で。

主観をどこに持っていくかで、物語の印象は180度変わってしまう。Twistedと銘打つ以上運営も意図的にやっているのだろう。しかしプレイヤーがネージュに対して好意的になりにくい状況のまま「副寮長という立場があり、出場メンバーとしてともに切磋琢磨してきた人間」がネージュのガチファンだったと判明するの、”ご用意された嫌なもの”って感じで嫌だね~~~!あれがヴィルとネージュのタイマンならまだしも、今回ルーク・ハントは出演者でもあったわけだし。

裏切りはいい。みんな物語上の役割に縛られているし、ルーク・ハントのアイデンティティが狩人である以上最初からわかっていたこと。でも別に己の信念を曲げていないはずなのに、あそこでネージュのファンであることが開示されることで結果的にそれまでの全てが薄っぺらく見え、ヘイトを集めることになってしまった。

なんで秘密を秘密のままにしなかったんだろうね。「良くも悪くも思ったことをそのまま口に出す」*35から?

素直なことと、デリカシーがないことは別問題。デリカシーって言葉を森に忘れてきたのかしら。*36

確かにかつてヴィルにこんなことも言われているけど……。「オタク」的なキャラ造形をされているイデアを扱う六章に繋げるため?*37 それにしたって互省前半の文化祭部分をもう少しテンポよくやって、もう少し五章のメインであるポムフィオーレの三人の掘り下げに回せなかった?

せめて練習パートでエペルが(半ば無理やりとはいえ)己の気持ちを納得させた裏側で「私はキミに告白しなければならないことがある」「私は彼(ネージュ)と出会って光を知り、そしてキミという美に出会えたんだよ」みたいな会話を挟むことはできなかったのか?

確かにヴィルは寮長であり女王で、ルーク・ハントは副寮長であり狩人だ。

鏡に映らないなんて身だしなみチェックが大変よね。授業ごとにルークに確認してしまうかも。*38

(ルーク・ハントに体重の増加を指摘され)……わかった、忠告は胸に留めておく。*39

でも彼らの間にあるのは「主従関係」ではなく、「友情」であり「信頼」なんだ。

「ルーク・ハントの自分を見る目を信頼している」からこそ、投票後ルーク・ハントに「今この時、キミは最高に美しい」と言われたとき初めて、ヴィルは涙を流した。

ただ「言い出さなければバレなかったのに、あえて自分の裏切りを口にするのが真摯」というのは少し違う気がする。罪を告白して救いを得るのは当人だけだし、仮に「友達に嘘をつきたくなかった」という感情があったとしてもエゴでしかない。

そもそもVDCとは一体どういう戦いだったんだろう。ヴィルとネージュは「美しい」と「可愛い」で、最初からジャンルが違う。そんなジャンルの異なる二人が戦う場に設定されたルールが「歌唱力とダンス技術、そして自分たちに似合う曲を選べているか」という評価基準であるはずなのに、最終的に「一番輝いていたと思うチーム」であるRSAが勝利する。

TV曲スタッフA:最高のパフォーマンスだったよ!感動で痺れちゃったなあ!(中略)力強い歌声、キレのあるダンス……もはや高校生レベルを超えている!世界中探しても、ここまでのユニットはそうない。*40

 これがNRCのリハーサル後のメディア関係者による評価。

エース:なーんだ。誰でもできる簡単な振り付けじゃん。しかも全然揃ってねーし。

ジャミル正直、クオリティは大したことないな。

撮影スタッフD:踊りも不揃いで、ハモりもがたがた……なのに、目が離せない。全力で応援したくなる!*41

対するRSAのリハーサルの評価がこれだ。NRCは歌唱力もダンス技術もRSAより勝っていて、ちゃんと「自分たちに似合う曲」を選択している。本番も、ヴィルは満身創痍の状態で「最高のパフォーマンス」をやりきった。しかし優勝することはできない。そして「君に投票した人にとっては君が世界一」とネージュの口から直接言わせることで、最後まで土俵の違う戦いだったことを再認識させられる。

このように「大会の評価基準の無意味さ」を提示された後にRSAに投票した「(ヴィルがその評価に信頼を置く)美を追い求める狩人」であるルーク・ハントが「ネージュの古参ファン」であったことが提示される。連続して「評価基準」に疑いを持たせられた結果、ルーク・ハントにヘイトが集まることになるのだ。

本当にヴィルの呪いは解けた?「誰かアタシを気絶させて」と冗談めかして言いながらも確かに傷ついていたうえ、最後にred-hot iron shoesならぬ強制大団円ダンスをさせられたのに?確かにあそこで笑顔のままやりきるヴィルのプロ根性はすごかったけど、だからといって「傷ついていない」わけではない。

ハイホーの悪夢みて夜中に飛び起きたりしない?私はする。

だから舞台上で手と手をとりあうヴィルとネージュを見たルーク・ハントが「なんと美しい光景なんだ……ボーテ、100点……」*42 って言ったの、「えっ……?」って思っちゃった。それはなんか違うことない??もしかしてルーク・ハント無自覚に「そういう消費」してる???嫌だ……。

 

誕生日パソストですらほとんど新規情報を得られなかった身からすると、急にルーク・ハントの「18歳の生身の人間」としての側面を見られたことに衝撃を受けた。

これまでは「狩人としてのアイデンティティ「ヴィルを支え、ヴィルと他者を繋ぐ役割」が多くて、「ルーク・ハントという一人の人間」としての描写はあまりなかったから。それにこれまで主に「喜」「楽」の状態が多かったから、感情を露わにしているのも新鮮だった~~~。推しを前に感極まって泣いてしまうのは可愛いし、毒を飲むことも厭わない狩人、すごくよかったよ。

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でもこんな検索結果は見たくなかったな(あえてこのサジェストが出そうな”ルクハン”で検索したことを懺悔します)。

設定資料集内のインタビュー記事に「全員に好かれるようなキャラクターにはしない」「誰かが誰かを救う話ではない」と書かれていることは知っているし、別にふわふわ仲良し空間が見たいわけでもない。でも私は今回のルーク・ハントの描き方に納得できるほどの「物語としての説得力」を見いだせなかった。そこに至るまでの道筋と道理をシナリオ内で示してほしかったなと思ってしまった。

 

五章はポムフィオーレのための物語だったか?

わからん……。ヴィルの「美」は守られ、彼の長年の望み通り「最後まで舞台の上に立った」が救われず、ルーク・ハントは伏字でボロクソに言われるようになった(私怨です)。次世代であるエペルの「毒林檎」への成長にはイマイチ説得力が欠けている。何故なら彼の代わりにセンターを飾ったのはジャミルだったからだ(ここでジャミルを責めたいわけではない。念のため)。

ジャミルが唯一「ブレイクダンス」という見栄えのする大技を決められるからソロパートがあること自体は不思議ではない。でも「舞台上でヴィルサンが倒れる姿なんて見たくないから自分がセンターを張る」とまで言えるようになったエペルの成長の説得力が提示されない。あーでもメインが「精神論」だから別にいいのか……。

前章のキャラクターたちが次章でサポートに回るのはいいなと思う。五章でジャミルの有能さに関するフォローが結構あったし。

でもこれ次章でイグニハイド寮に食い込んでまでポムフィオーレの補完が行われるのかと思うと正直キツイ。五章で「ポムフィオーレの物語」を求めていた人にとっても、六章に「イグニハイドの物語」を求めている人にとっても中途半端になりそうで。いやまあ「Rook」に「Queen」がいるんだからハデスインスパイアのイデア回にはそれなりに駒として活躍するんだろうな……。でも正直もう少し「ポムフィオーレメイン」である五章で掘り下げが来ると思っていたな~。

あと相変わらずルーク・ハントのユニーク魔法はわからないままデュースのユニーク魔法が判明したことに複雑な思いを抱いてたんやけど、もしかしてあれは「ヴィルに与えられた攻撃」をそのまま返すことで「自分自身で目を覚めさせる」構造にしてあるのかな。「自分が許せない」からオバブロした自分を救えるのは、ヴィル自身の許ししかないわけだし。

 

消費の物語としてどうだった?

インスパイア元の「軸」からして、どう足掻いてもルッキズムが絡んでくる五章。これまでのシナリオの手付きを見ていて、正直少し不安だった。そしたらドワーフkawaii消費とかいうすごいグロいのが出てきてびっくりした。よっぽど露悪が大好きなんだな……。

こりゃ、可愛い猫ちゃんの動画よりよっぽどバズりそうだ!*43

グロいよ~~~!猫ちゃん動画と同じ文脈で消費されるドワーフたちの「生まれ持った身体的特性」。ドワーフの見た目も、彼らを率いるネージュの「愛らしさ」も。我々はみんな他者の「消費」をして生きている……。

逆になんでヴィルの周りのジェンダー関連の扱いはあんなに丁寧だったんだろう。「老けてるって言ったら張ったおしてたわ」の会話でちょっとドキドキしていたエイジズム絡みも主題にはならなかったし。「醜さ」を判断する基準を「生まれ持った容姿」や「老いること」ではなく「胸を張って己を信じることができるか」「自分を誇りに思えるか」といった方向に持って行ったのはよかったなと思う。「美しき女王の奮励の精神」に基づいている感じ。驚くほど最初から最後まで一貫して「精神の話」だった。

もしかしてルーク・ハントがネージュのファンでもあるという情報を開示することで「美」の概念が一辺倒ではないという方向に持って行きたかったのか?

それならエペルにも譲らないでほしかった感はある。人には人の「美」があるのなら、「愛らしさ」を生かすかどうかも個人の自由だし。まあヴィルに拳で勝てないうちはムリか……力こそパワーやもんな。

ガラの「エキゾチック」やハロウィンイベントの狼男の仮装もかなり胡乱だったけど、「人間ではないファンタジー世界のいのち」にはあまり権利が認められていない世界なのかな。ハロウィンイベントのマジカメモンスターたちの反応を見る限り、あの世界には人間が多く、獣人や人魚、妖精族は珍しい(数が少ないもしくは生活域が限定されている)感じだし。

が、正直五章のドワーフ猫ちゃん消費の露悪的な表象を見た後だと、余計にガラやハロウィンでの描写は「無自覚」だったのではないかと思ってしまった。(ガラの「エキゾチック」は「自身を商品として見ることのできるヴィルならではの言葉」、ハロウィンイベントはカリムの「無垢さ」を強調する露悪として見れなくもないが、どうも無自覚っぽい)

05/25/22追記:おい!!ガラの「エキゾチック」を「ファビュラス」にサイレント修正するな!!!イベントのメインテーマの変更したなら「なぜ変更に至ったのか」説明するのが筋やろ!!!

私はフィクションにおける露悪も非倫理も大好きだ。しかしそれは作品内で「その世界の倫理観や価値観の提示」がきちんと行われている(作り手に「倫理観がないものを作ろう」という意識があることがわかる)ときに限る。ソシャゲでは一度に出せる情報のボリュームに制限があるのはわかっているが、「作中の倫理観や道徳観の提示」がなければどうしても「現代社会」に生きる「プレイヤー」の物差しを当てて見ることになってしまう。

ツイステは誰もが知っている童話(を元に作られたアニメーション映画)からインスパイアされたファンタジーではあるが、その時代および小道具の設定は現代社会に寄せた作りになっている。

テクノロジーやマジカメや食堂で提供される料理などの文化的背景、インフラや国ごとの社会システム。まるで「これはあなたである」と言わんばかりに「ユウ」というデフォルト名を与えられた、監督生という「異世界から来訪した魔法の使えない人間」の存在。ハロウィンイベントなんて、パークに「手下」が出てきた際にSNSで散見された阿鼻叫喚がそのまま反映されていたという感想が多く見られた。

もちろんフィクションを「現実的リアリティ」の視点で鑑賞するのは野暮で、鑑賞態度として妥当ではない。しかしツイステのように意図的に物語と読み手の距離を近しく設定し、それによって「共感」を引きだす構造を用いる場合、物語の中で「虚構的リアリティ(およびそれを成立させる情報)」が提示されなければ、プレイヤーが持つ倫理観やその文脈に関する背景知識などが優先されてしまう。

作品の受容の仕方は読み手に一任されていて、読み手はフィクション作品と向きあうときに無意識にそれをフィクションだと認識したうえで消費する(だからフィクション作品とノンフィクション作品で鑑賞方法や物語の受容、消費方法が変わってくる)。

フィクション性の受容と認識が読み手の持つ背景知識や倫理観に依存する以上、複数の読み手にある程度共通した「説得力」を与えたければ、作品内で「虚構的リアリティ」を提示する必要がある(と個人的に思っている)。しかし、ツイステにはどうもそれが欠けているような気がするのだ。

まだ上手く言語化できないのだけれど、物語としての正義や倫理(虚構的リアリティ)が十分に提示されないままにどうしても物語の中で扱いたいこと(例えば各章を通して問題の根幹に置かれている「想像力の欠如」や「どうにもならない社会・権力構造の問題」など)を盛り込んだ結果掘り下げきれず、物語やキャラクターに矛盾が生じることになったみたいな。しかもそれをプレイヤーを引き込む形式(ゲーム外の現代社会に設定を寄せ、実際に起こった問題を風刺し、常に「あなた」へ訴えかけるストーリー構成)でやるから、読み手は困惑する。このフィクションはどういう土台の上に成り立ってるんだろう?と魔法が解けてしまう(最初はわざと視点をズラして物語を語るという意味でもTwistedなのかと思ってたけど、ぐだぐだの運営を見ていてその可能性は薄いなの気持ちになった)。

「物語」を扱うなら「物語」の力を信じて創作やってくれよ……。「世界を変える」つもりで創作しないのに「本国D社の監修が入っている」って言うの営業妨害じゃないですか?フィクションは虚構だけど、フィクションと現実はいつも地続きで相互作用がある。そして人間は愚かでリテラシーが低い(クソでか主語)ので簡単にフィクションの影響を受けるんやで。

もちろんソシャゲというメディア独特の縛り(配信時期やシナリオの長さ制限など)があることはわかっている。しかしいつまで経っても配信されない本編を待つ間にせめて推しのことを知りたいとガチャを回し、ほぼ新規情報のないパソストを啜って生きてきたところでキャラクターの根幹に関わる情報開示する?課金の使いかた逆じゃない?もしかしてキャラゲーのつもりじゃなかったの!?!?そっか……。

(……と思おうとしたけど、2019/11/25リリースのまほやくは21キャラいてそれぞれ最低でも7枚はSSR実装されとるやんけ!になった。)

 

配信時期の遅延は物語の受容に影響を与えたか?

YES. 「ポムフィオーレの物語」である五章の幕引きが行われるまで、ポムフィオーレのキャラクターについての情報はイベントストーリーとカードのパーソナルストーリーで補完するしかなかった。イベストやパソストの時間軸に明らかな齟齬があってもメインストーリーが進まなければ調べることすらできないし、そもそもパソストに関してはSSRのカードを引かなければ読むことすらできない。だからガチャを回したし、同じ話を何度も何度も読み返した。

もう一度言うが、私は公式が出してきたものに対して「解釈違い」という言葉を使いたくない。しかしこの半年の間ずっと数少ないイベントと数枚のカードだけで生きてきたのに、「これまでキャラクターのイメージを脳内で固めすぎていたんじゃない?」というような情報の開示(穿った見方です)をされたらそりゃ衝撃を受ける。ソシャゲだから仕方がない。ソシャゲは悪い文明!でも最初から「こういう配信時期を予定しています」と提示されているのと「ごめん!遅延します!」と言われて年を越すのとでは印象も変わってくるよね!それに加えて多重課金問題や未だに直らないクソデカUIバグがあるのに無数に新しいグッズだけが発売される世界。「娯楽」ではあるが、対価の発生する「商品」でもあるのだから、もうちょっと信頼できるように運営してほしい。

 

ルーク・ハントは狩人だったか?

狩人だったね!しつこいようだけどあの毒のシーンはマジでよかった。私はヴィルが「己の姿を(目に)映すもの」として信頼をしていることから、ルーク・ハントは「狩人」であり「鏡」だねという妄言を吐いているタイプのオタクだ(だからこそルーク・ハントの「判断基準」が揺らぐような情報開示方法にショックを受けたんだと思う)。

今回そこに「王子様」ロールも追加されていてびっくりした。ネージュに彼を想って詠んだ詩を送り、(願いの井戸で白雪姫と王子様が出会ったように)握手会に参加した過去を持ち、オバブロで気を失ったヴィルを目覚めさせる。王子様の虚像だ……てぇへんだ……。

 

Happily Ever After

まじめに己の気持ちと向きあうつもりが全然気持ちの整理がつかないし、口を開けば呪詛がでそうになる。思っていたより悪口まみれのお気持ち感想文になってしまったし、これを打っている間に朝日が昇った。おはよう朝六時になにしてるんだい?

タイトルで「半年待った」と言ったけど、まだカードが実装されていないセベクとシルバー推しと比べればはるかに推しの情報は得られているし他のキャラクターとの絡みもあるほうだとは思う(のでそのあたり無神経に聞こえたらごめんなさい)。

公式で出てきた情報が「その世界の全て」であるし、そこに「解釈違い」とは言いたくないし言わない。でもショックは受けるしええ加減にせえよという感情は抱くよ。

五章を楽しみにしていたのに私みたいに落ち込んだり悲しくなっちゃった人たち、みんな美味しいもの食べてゆっくり休んでね……!悲しむのも怒るのもパワーを消費するからね……!

これを書くために何度か五章までの本編を読み返してもやっぱり私はルーク・ハントを愛しているし、幸せになってほしいと思っている。いや、幸せになろうな。本当のハッピーエンドまで、一緒に歩んでいこうな!

 

近況

時間が経てば納得できる落としどころが見つかるかなと思っていたけど、時間は何も解決しないし本編は一生実装されない。

※モアナの件(英語):Disney apologises for Maui costume

 

*1:メインストーリー5-25 愛嬌ライバル!

*2:ルーク・ハント誕生日パソストEP2

*3:ルーク・ハント実験服ホーム画面

*4:ルーク・ハント制服ホーム画面

*5:ルーク・ハント実験服ホーム画面

*6:メインストーリー5-27 特訓アナザー!

*7:メインストーリー5-73 終曲ポムフィオーレ!

*8:メインストーリー5-60 旋律ピースフル!

*9:メインストーリー5-60 旋律ピースフル!

*10:メインストーリー5-73 終曲ポムフィオーレ!

*11:メインストーリー2-27 王弟ミゼラブル!

*12:メインストーリー4-36 渇望アプローバル!

*13:事務所の力関係や二世俳優としての業界での立場などは描かれていないため、こう仮定する

*14:メインストーリー5-65 憧憬ステージ!

*15:メインストーリー5-65 憧憬ステージ!

*16:メインストーリー5-65 憧憬ステージ!

*17:もちろんここでいう「最後まで舞台に立っていること」は「主役として選ばれる」ことを内包している。

*18:と言ってもVDCの三位以下の扱いや他の俳優の存在が”無”であることや、映画のオファーが届いた際の「また、ネージュ?」という言葉からネージュとヴィルが共演するときにはネージュが主演になることが多いらしいと推察できるので、ネージュ vs. ヴィルの構造になる

*19:メインストーリー5-36 反発アイデンティティー!

*20:メインストーリー5-62 勃発エマージェンシー!

*21:メインストーリー5-62 勃発エマージェンシー!

*22:メインストーリー5-29 創造シルキー!

*23:ヴィル実験着EP1

*24:メインストーリー5-12 全開エキセントリック!

*25:メインストーリー5-27 特訓アナザー!

*26:メインストーリー5-37 摩擦リレーション!

*27:メインストーリー5-37 摩擦リレーション!

*28:メインストーリー5-17 鑑定ブライト!

*29:ガラでのレオナとのやりとりや、浜辺から戻ってきて「ネージュもアンタも超えてみせる」と啖呵を切ったエペルに対して「言うじゃない」と笑ってみせたことからこういう読みとり方をしている。

*30:メインストーリー5-24 新曲エキサイト!

*31:5-37 摩擦リレーション!でエペルがボールルームを飛び出していった後や、5-60 旋律ピースフル!でRSAのリハーサルを目にした後、ブロットが溜まったり精神的に限界を迎えている(オバブロ回想シーンのように画面がモノクロに近づいた状態)ような状態のヴィルの名前を呼んで意識を現実世界に引き戻している。

*32:ルーク・ハント式典服ホーム画面

*33:誕生日パソストEP2

*34:メインストーリー5-72 終局ポムフィオーレ!

*35:ヴィル実験服EP2

*36:ヴィル実験服EP2

*37:ネージュはアイドルではないが、ルークが「がけも」を観測している可能性はある

*38:ヴィルハロウィン衣装ホーム画面

*39:ヴィル実験服EP1

*40:メインストーリー5-58 殺到フェイバー!

*41:メインストーリー5-60 旋律ピースフル!

*42:メインストーリー5-73 終曲ポムフィオーレ

*43:メインストーリー5-60 旋律ピースフル!

【Twitter翻訳】Axis Powersヘタリアとそのファンダムが内包する差別と偏見について

 

ヘタリアは人々に悪影響を及ぼした。とくに幼い子供たちに。子供たちが世界史の授業中に奇妙なことを言ったり、ナチスドイツが擬人化されたことで現実の問題の矮小化に繋がってしまったり。

「でもヘタリアは歴史を教えてくれるでしょう?」いいえ。マジでそんなことはないんです。

「子供たちがフィクションと現実を区別できないのは彼らのせいじゃない」という人がいるけど、これは子供だけの問題ではありません。確かに子供のせいではないけれど、彼らは自然に周囲の大人たちから知識を吸収して学ぶものです。だから大人たちがその悪影響を知っておかなければいけない。それに私は何度も言っていますが、大人のヘタリアファンにはオルタナ右翼が多いんです。

このアニメは風刺ではなく、戦争や戦争犯罪ファシズムを非難するものでもなかった。擬人化は共感を生みだすし、下手な歴史メディアは右傾化への入り口となりやすいんです。

「そんなのは滅多にあることじゃない」とか「それはヘタリアのせいだけじゃないでしょう」という人は私あてのリプライや引用リツイートを見てみるといいと思う。すぐに見つかると思うし、本質的な問題はファンダムにあるから。ヘタリアファシズムを非難していない。

ああ、もうひとつ。「ナチスドイツは擬人化されたことがない」という人たちがいるけど、それは間違い。あのアニメは第二次世界大戦中の出来事を描いています。ナチズムをドイツから取り除くことは歴史を消すことです。「第二次世界大戦中のドイツを擬人化する」ということは「ナチスドイツを擬人化する」ということであり、その危険性を上書きするということだから。

「歴史を隠すこと」は「歴史を描くこと」以上に危険なことです。何故ならそれは欺瞞であり、クソみたいな事態への入り口だから。ドイツがweb漫画でナチスの旗と一緒に描かれていて、ファンが鉤十字――白人至上主義のシンボル――を身につけることに繋がったことを見ないふりなんてしないで。

最後に言いたいことは、「差別主義者でないだけでは充分ではなく、あなたは反差別主義者でなくてはならない」し「ファシストでないだけでは充分ではなく反ファシストでなくてはならない」ということ。あなたが消費し拡散するメディアに対して常に批判的であってください。

「みんなヘタリアが人々に与えた悪影響について誇張してない?」いいえ。実在する歴史的事象をネタにしたクソみたいなコスプレは死ぬほど存在しました。何故ならそれはやおいのテーマとして"最高"だったから。

例えば……オーケー、私は十三歳のときヘタリアと出会い、ハマりました。ヘタリアキャラの同性愛二次創作/ファンアートを描く人たちを見て。私は本当にのめり込んだし、最終的にたくさんの人が「革命は(仲違い・失恋的な)別離」だと言ったり「フランス・スペイン・プロイセンを"悪友"」として扱うのを目にしました。

これは表面上、とくになんの問題もないように見えると思います。擬人化なんて珍しいことじゃないし。でもアニメの可愛らしいキャラクターはたちのいちゃつきにも似た関係性は、第二次世界大戦の出来事をwoobifying("Aw, poor baby!"と言いたくなるような同情的/尊さのような感情を引き起こすこと)した。ふむ。トラウマになるような出来事をネタにしたAU(Alternate-Universe:二次創作)を作るヤベー奴らがたくさん存在したのは言うまでもありません。

楽しかった日々を覚えているように、「世界を繋ぎ学習の機会を与えてくれる"と思っていた"」このシリーズにハマっていた懐かしさを覚えています。子供だったこともあるけど、振り返ってみるとなにが「標準化/正常化」されていたのか恐ろしいものです。

私は多くの人が物事を批判的に消費することができると知っているし、あなたがたになにをすべきか指示するつもりもありません。でも基本的な人間の良識に基づくと、歴史的なトラウマとなる出来事を軽視するのは不快で侮辱的なことです。こういうことを指摘するのは間違ったことではありません。

ヘタリアのことを気にしたり言及することは間違いではないのです。特にファンダムで人種差別が横行していたことを考えれば。

そう、確かにヘタリアを通して歴史に興味をもった人もいました。しかし多くの人がヘタリアを事実として受け止め、語られていたということを意識していなかった。歴史的な出来事はアニメのキャラクターではなく、「実際に」人々の身に起こった出来事なのです。

その代表格である韓国というキャラクターは、日本人が韓国人をどう思っているかを人種差別的に描いたものでした。だから韓国はヘタリアを禁止した。日本は韓国を植民地化し、常に彼らに対して人種差別的だったから理にかなっています。

国を擬人化することで、人々はキャラクターとして彼らに共感しやすくなります。推し(お気に入りのキャラクター)ができるのは、人々が彼らの中に自分自身を見ているから。国をキャラクター化することは、人々……特に若い人たちが気に留めたことすらない複雑さを生み出すのです。

2020年の出来事が当時起こっていたら、と考えてみてください。ファンダムがアメリカのキャラクターを描くことを想像してみて。コロナウイルスや警察の残虐性、組織的な人種差別、ICE(ドラッグのこと?殺人のこと?)や先住民の権利について。

結局のところ、このコンテンツを支え、作り続けているのはほとんどが白人(そしておそらくその多くはナチス信奉者)なのです。みんながみんな悪いことをしたわけではなく、ただ楽しもうとしていただけの人もいるでしょう。でも実際に多くの人が仲間やファンダムの影響を受けています。

そして実際の内容はさりげない人種差別化を通じて社会的弱者・マイノリティたちにネガティブな影響を与えることになってしまった。

 

loose translation for myself 自分のための意訳 / @7mi___n

 

このnoteを読んだあとにTLに上記のツイートが流れてきたからメモしておこう~と訳していたんだけど、

すごく丁寧だな~と。作品を好きなことは作品を盲信・全肯定することとは違うし、作品を批判するからといってそれを愛する/愛したことを否定するわけではないのよね。

このツイートで触れられている学術書

ACADEMIAにもアップロードされているみたいなので時間を見つけて読み進めたいな。他にもいろいろ見つけたので自分用メモ:

 

 

【Tumblr翻訳】Twisted Wonderlandファンフィクションコミュニティ内におけるMENAキャラクターの表象について

artsy-hijabi I think people don't realise or are unaware of the fact that artsy-hijabi.tumblr.com  

匿名の質問:私は、人々は「暑い地域出身のキャラクターにファンタジー世界的な衣装(露出が多い踊り子のような衣装)を着せること」が、「必ずしもアラブのキャラクターをエキゾチックかつ性的に強調するわけではない」と気づいていない、もしくは気にしていないと思います。私たちがインターネット上を参照したとき見つけることができるのは、同じようなベリーダンサーの衣装ばかりです。そんな中で人々が何が適切であり文化的に敬意を払っていて、何がそうではないかを把握することはとても難しいのではないでしょうか。

artsy-hijabi: いや、今2020年ですけど?そんなに難しいことじゃないですよね?みんなハーレム/ベリーダンサーの衣装をわざわざ検索して参考にしているんですよ……カリムとジャミル、もしくはオリジナルのスカラビアのキャラクターにクソみたいな衣装を着せて描くために。それは意図的なものであって、「気づかなかった」わけではありません。みんな自分がなにをしているかわかったうえでやっています。そしてそれができるなら、みんななにが伝統的(もしくは過度に異国趣味として強調されていない)な服かそうでないかわかるはずです。みんな単に後者(非伝統的でオリエンタリズム溢れる服)を選んでいるだけ。それは彼らがファンタジーの世界でMENA ( Middle East & North Africa )の人々を人種差別的な方向からフェチ化して、現存する有害なステレオタイプ的イメージを永続させることが好きだからです。
簡単に言えば、もしあなたのスカラビアのファンアートが以下のイメージに似たものを描いているのであれば:

(写真三枚)

何故あなたがこのような服を彼らに着せる必要があると感じたのか、考え直してみるべきです。マジで。自分の心に聞いてみて。どうしてあなたがカリムやジャミルを過度に性的で官能的に描きたいのか。それは彼らの肌が褐色で、アラブ人だから?彼らは17歳の未成年者です。このファンダムは未成年者を性的に描写している問題だけではなく、人種差別的な問題も抱えています。

どうしてアラブ人/ブラウンのスカラビアのオリジナルキャラクターたちはおかしなハーレムのパンツと鎖、もしくはそれに似たほぼ裸のような服装をしなければならないのですか?そもそもどうして彼らは最初から過度に性的な存在として描かれなければならないのでしょう?ブラウン/MENAのファンタジーキャラクターといえば、それが真っ先に思い浮かぶわけ?

 

loose translation for myself 自分のための意訳 / @7mi___n

 

以下自分用メモ:

https://doi.org/10.1111/j.1559-1816.2010.00676.x

"A whole new world"? - A comparative analysis of Middle Eastern representation in Aladdin 1992 and Aladdin 2019 | Student Repository studenttheses.universiteitleiden.nl  
Disney’s Aladdin (2019), the Old Rum in the New Bottle | Ultimacomm: Jurnal Ilmu Komunikasi ejournals.umn.ac.id  
“ALADDIN” FROM ARABIAN NIGHTS TO DISNEY: THE CHANGE OF DISCOURSE AND IDEOLOGY | Rahayu | LiNGUA: Jurnal Ilmu Bahasa dan Sastra “ALADDIN” FROM ARABIAN NIGHTS TO DISNEY: THE CHANGE OF DISCO ejournal.uin-malang.ac.id  

 

 

文化としての夢創作と記録

 

virtualhitsuji.hatenablog.com


この記事で「夢創作は文化としての記録があまり残されていない」と書いたあとで、「夢創作に言及している出版物(書籍や論文等)」を自分が実際どれくらい観測できているのか気になったので整理してみる。

 

 

読んだもの

腐女子と夢女子の立ち位置の相違 / 吉田栞、文屋敬

本稿で対象とする腐女子および夢女子は,受け取る側からイメージを共有
できないと宣言された〈告白〉を持つ少女たちである。腐女子は「私」の存在を消し、男性キャラクター同士による同性愛的関係を愛好しているといった〈告白〉が一般的な少女コミュニティにおいては共有されないものだということを理解している。だからこそ「共有されないなら、それで構わない」と個々の世界を作り上げた。それとは反対に、夢女子は「共有できないなら、できるようにすればいい」と独自の機能を用いることで現実世界と二次元の世界を繋げた。それは夢女子が「私」という存在を中心にすえた関係イメージを保有していたからである。*1

少女たちが<告白>を通じてイメージの共有を行うことでコミュニティと繋がっているという前提で、コミュニティから排除された結果「私」という存在を廃した「腐女子」と「私」を中心に据えた「夢女子」を比較し、それぞれの物語に対する「私」をどう位置付けているかを女性性が「眼差される性」であることに関連づけて論じた2014年の論文。
この中で夢女子は「「私」と男性キャラクターによる異性愛的関係を築くことを好む女性たちのことである」*2と定義され、「不特定の人物との「一対一」の関係を築く物語である」夢小説世界で「私」が存在を確立するとき、「キャラクターのポジションを模倣することで存在を確立させる手法」「キャラクターとの「成り代わり」という手法」のどちらかの方法がとられているという。*3
論文のテーマが少女のコミュニティであり、シスヘテロ女性の恋愛に関係する夢小説に限定されているため、いわゆる「世界観夢」や「BLD」などの存在への言及はみられない。
そもそも「夢女子」と「腐女子」は対立するものではないのだけれど、それはここでの論点ではないので仕方がない。 

 

異投射・虚投射の発生と共有: 腐女子の妄想と二次創作を通じて / 久保(川合)南海子

作者が作り出したものを、読者は読者の目で見る、両者は同じものを見ているが、その見え方はそれぞれ違っている。そのような心の働きは投射(プロジェクション)と呼ばれる心的過程の一つである (川合, 2018)。
(中略)
たとえば、既存の物語から別の物語を派生させることはプロジェクションが不可欠であると考えられる。なぜなら派生作品は既存の作品を、そのまま認識するのではなく、別の物語として見る、すなわち異投射や虚投射という過程が含まれるからである。*4

腐女子がどのように男性キャラクター同士の関係性を見出し、恋愛二次創作を生み出すのかについて認知科学の中でもとくにプロジェクション科学の観点から論じた2019年の論文。この論文内において「夢」はこのように定義されている。

3) 例外的に、自分自身が登場する願望的空想の二次創作として「夢(ドリーム)」と呼ばれるジャンルがある。芸能人やアニメのキャラクターなどを対象に願望的空想が展開される作品の中で、ある特定の登場人物に読者が自分自身の名前などを自由に入力できるようにした二次創作がそれにあたる(たとえば,アニメのキャラクターである C が読者自身の名前がついたヒロインとひょんな事から出会って特別な好意を寄せてくる、といった小説など)。この場合,ある特定の登場人物を全てその名前で表記させるという操作が必要になる。そのため、CGIJavaScript を使った「名前変換機能」(吉田・文屋, 2014)などが可能なウェブサイト上で閲覧する作品として作成・発表されるものが多い。*5

腐女子の妄想や二次創作が「願望(自分が好ましい読み替えをおこなっている)や没入(読み替えをおこなうくらい熱心に向き合う)を含みながらも、自身はその妄想に不在である」のに対し、夢は「自分自身が登場する願望的空想の二次創作」として扱われているのかな。

既存のキャラクターや設定などを利用して空想を楽しむのは腐女子だけではない。誰しもが多かれ少なかれ勝手な空想をしたことはあるのではな
いだろうか。腐女子の妄想(異投射)が他の空想とは異なる特徴を明確にするために、既存のキャラクターや設定などを利用した他の空想事象と比較する(表 1)。比較する空想事象は、以下の 3 つである。(1) 腐女子の妄想。(2) 自分自身が登場する願望的空想(たとえば、ある男子高校生自身が「担任の若い女性教諭から自分だけ放課後の誰もいない教室に呼び出され、特別な好意を告白されて親密な間柄になる」、などと想像して楽しむ場合)。(3) 物語世界に入りこむ代理的な疑似体験としての空想(たとえば、ファンタジー冒険小説を読んで自分が世界を救う主人公になりきった仮想状態に没入する場合)。*6

あとはこのあたりの話が「夢創作」の話をするときに切り離すことができない「自己投影」について考える際に役立ちそう。ただこの論文で初めて「プロジェクション科学」という言葉を知ったぐらいなので、もう少しこの分野そのものの知識がほしいところ。

このへんとか。この論文の文献を見ると、「腐女子」にまつわる資料はたくさんあるのに「夢女子」に関する資料が先に上げた「腐女子と夢女子の立ち位置の相違」だけなのが(主題ではないとはいえ)つらいね。

 

Magical Me: Self-Insertion Fanfiction as Literary Critique / Melody Strmel

scholarship.claremont.edu

「Self-insertタイプのファンフィクションは、自己を媒介とすることで作者の内面と現実世界に対する認識を反映する文芸批評として読みとることができる」という2014年の論文。

Self-insert fic happens when the author inserts themselves into a story or its universe, either directly or through a character avatar. *7

自己挿入型フィクション*8作者が物語やその世界に自分自身を直接、もしくはキャラクターのアバター越しに挿入することで生まれる。

Today readers often question the place of their interpretations and interactions with their beloved texts. Self-insert fanfic is, among any other things, a way to reconcile a reader's experience and interpretation of a text and its bearing on their own life. *9

今日、読者はしばしば自分の解釈や愛すべき物語との向き合い方を考えている。自己投影型のフィクションは、何よりも、テキストに対する読者の経験や解釈と、読者の人生をうまく繋げ関係させていくものである。

S/Iフィクションにおける「キャラクターとしての自分」の構築の話とか、物語に作者自身を挿入することでより「作者がどう物語を受容、解釈したか」が直接的に提示されるようになる話とか(ざっと読んだだけだからちょっとニュアンスが違うかもしれん)。

There are two main types of author avatars used in self-insertion fanfiction. Some characters more or less resemble their author, with a few differences in background or ability that allow them to fit into the setting and characters. Others represent a mixture of the person the author perceives themselves to be and the person the author wishes they could be like. *10

自己挿入型フィクションで用いられるアバターには、大きく分けて二種類があります。一つ目は、多かれ少なかれ作者に似ているが設定やキャラクターにあわせるために設定や能力を変えているもの。もう一つは、「作者が認識している自分自身のイメージ」と「作者がこうなりたいと思っている人物像」が混ざっているもの

The term OC is an abbreviation of Original Character. An original character is any character a fanfiction author introduces that does not exist in any of the source material. An original character can be as innocuous as a nameless waiter who delivers one line to the main character of the fanfiction. *11

OCとはオリジナルキャラクターの略語である。オリジナルキャラクターとは、ファンフィクションの作者が登場させる原作には存在しないキャラクターのことだ。オリジナルキャラクターには、ファンフィクションの主人公に台詞を言う無名のウェイターのようなものも存在する。

このあたりの話が「夢主」の概念に通じるものがあるな~。というかS/Iフィクションが盛り上がっても名前変換機能が日本ほど定着しなかったのはやっぱり個人サイトか投稿サイトどちらが主流だったかの違いなのかな。

S/Iフィクションの話になると必ず出てくるメアリー・スーの掘り下げ方がとくに面白かった。何故メアリー・スーがファンダムで嫌われ、馬鹿にされるのか?何かにつけて「メアリー・スーだ!」と馬鹿にするが、それは本当にメアリー・スーに当てはまるのか?みたいな。凄く乱暴な言い方をすると「最強夢主」がネタ消費されやすいことに通じるものがあるな~と。

あと「X-File」や「Star Trek」、「Buffy the Vampire Slayer」以外にも「Harry Potter」シリーズの有名な二次創作である「My Immortal」や「Like the Rain」みたいに比較的新しい二次創作を例に挙げているのがよかった。

 

<リサーチノート>オタクが抱くメタステレオタイプについて:インタビュー調査による探索的検討 / 田島綾乃

hdl.handle.net

「オタク」が「オタクではない人」からどう思われていると考えているのかを調査する目的で書かれたリサーチノート。

ネガティブな言葉でメタステレオタイプが語られる一方で、オタクではない人が思い描くオタク像と自己とが乖離しているという語りも得られた。A さんは、オタクではない人が思い浮かべる女性オタクと実際の女性オタクの姿には乖離が生じていると考えている。以下の語りは、それを示すものである。
A:乖離している…普通の人が思い浮かべるオタクっていうのは、どっちかっていうと、めちゃくちゃ雑な例えなんですけど、例えばあんスタ5)とか見て、あーかっこいいみたいなことを言ってる像を思い浮かべるのかなって…だから、すごいわかりやすいビジュアルのいいキャラクターがいて、そこに対してかっこいいみたいな、どっちかというと夢女子的発想のオタク?じゃないですけど…(それを)思い浮かべるパターンが多いんじゃないかなって…〇〇くんかっこいい…みたいな、なんか、っていうのがざっくりしたイメージです。(A : 20 代女性)
A さんは、女性オタクを例に挙げ、女性オタクであればみな「〇〇くんかっこいい」といった夢女子志向があると思われていると感じている。しかし、A さんは作品のシーン 1 つ 1つに対して、伏線があると考察したり、さまざまな解釈を行ったりすることで、作品に対して愛を注いでいる。彼女は、夢女子のようにキャラクターに対して恋をするといったような作品への関わり方ではないため、女性オタクをそのようなイメージで一括りにして語られることに対して、違和感を持っていると考えられる。また、腐女子やオタクを題材にした映画を例に挙げ、典型的な描かれ方をしていると語っていた。*12

ちなみにここでいう「夢女子」とは「男性キャラ・アイドルに対して実際に恋をしている女性オタクのこと」を指すようだ。*13

本文中で指摘されている通り限られたサンプル数の(七人)のうちの一人の意見ではあるが、まあTwitterで時々見るやつだ~って感じ。

 

現実の3つの側面:オンライン空間とアイデンティティ形成 / 成田康昭

doi.org

インターネット上でのコミュニケーションが若者のアイデンティティ形成にどんな影響を与えるのか調査した論文。

ここでもう一つのケースをみてみたい。これは、日本の現在の若者のインターネットによる関係形成を記録したケースであり、立教大学社会学部の卒論として提出された。Twitter を中心とする、インターネット・コミュニケーションのモノグラフ研究として書かれ、女性である執筆者本人と、ネットで知り合ったある女性とのほぼ半年にわたるやりとりを、参与観察的に記録した優れた論文である。執筆者本人の同意を得て参照し、また重ねて執筆者(現在は社会人)へのインタビューも行った。

Aはインタビューで、「オタク女子は、大きくは「ドリーム系」と「腐女子系」(ヤオイ系)に分かれる」と説明した。ドリーム系とは、ドリーム小説」という、ウェブ上で公開され、特定の登場人物の名前を読者が自由に設定して読むことのできる小説を好む女性である。*14

立教大社会学部で2010年に書かれた卒論を取り上げた部分。執筆者名は非公開だが、執筆者とその友人がハマっていたドリーム小説の構造を持った音声ドラマ」や、彼女たちが行っていた「ゆめいぷ」について語られている。

全く知り合いでなかった二人が「ヤンデレ好き」として Twitter 上で相互フォローとなったのが 5 月末である。「ヤンデレ」とは『ヤンデレ天国(ヘブン)』というドラマ CD7)のことであり、聞き手が主人公の二人の男性に愛されるヒロインとして物語の中に巻き込まれる形になっており、その意味でドリーム小説の構造を持った音声ドラマである。このドラマをヒロインとして聞いていると、自分がその物語の中で主人公の男性から話しかけられ、物語の中でそれに「応えている」と「夢見る」ことができるという。 *15

この最盛期には、二人が「ゆめいぷ」と呼ぶ役割ゲームが頻繁に行われている。「ゆめいぷ」とは二人が考えた skype 上でやるドリーム小説的な「疑似恋愛空間」なのだという。(中略)ドリーム小説と「ヤンデレ天国」に共通する構造は、先述したように、読み手(聞き手)の審級と、作中のフィクションとしてのキャラクターが、相互に乗り入れる点である。*16

 

構造としての「夢」の話だ。やはりここでも「夢」=「キャラクターとの恋愛関係」というイメージで扱われている。

 

ポピュラー音楽と女性ファン / 吉光正絵

hdl.handle.net

ポピュラー音楽研究で語られてきた「女性ファン像」の変遷とその要因について分析した論文。

日本でも女性ファンによるスラッシュ・フィクションは多数書かれてきた。日本ではグループサウンズの頃から、アイドルをモデルにした漫画や小説も公式、非公式で描かれてきた。また、ドリーム小説や夢小説と呼ばれる、登録者名を入力するとファンの名前とスターの名前で恋愛小説を作ってくれるサービスもインターネットでは人気のコンテンツとなっている。日本のファン・フィクションでは、同性、異性の恋愛ものも人気だが、スターやアイドルを先輩後輩や先生に置き換える学園ものや、同年代設定の男性同士を、父親、母親、子どもにした一つの家族を設定したやりとりを描く作品も人気である。*17

 

スラッシュ・フィクションの一種としての「夢小説」。最初に恋愛小説が例に挙げられているが、その他の関係性を描いた作品についても言及がある。

 

サイゾー 2020年6月号

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「夢女子」とはなにか?ざっくり解説!
夢女子とは、読み手が自己投影しやすい主人公と、漫画やアニメのキャラクターの(主に)恋愛関係を描いた二次創作を楽しむ女性オタクのことを指す。「夢女(ゆめおんな/ゆめじょ)」と呼ばれることも。
男性キャラクター同士の関係性を楽しむ「腐女子」とは別の概念である(「夢女子」と「腐女子」を両方楽しむケースも多々ある)。
読み手自身が主人公視点となる物語の構造上、二次創作はマンガよりも小説のほうが主流。「夢小説」と呼ばれ、インターネット小説投稿サイトの浸透により、女性オタクの間で文化として定着したと考えられている。
 なお、実在するアイドル等にこの概念が使用する場合もあるが、本稿では主に二次元コンテンツの「夢」を取り上げた。*18

という「配慮」を感じる定義付けのもと三人の夢女子(うち二人は腐女子でもある)たちの対談を取り上げたもの。「性愛禁論」という特集なので恋愛夢を中心に扱ってはいるが、めちゃくちゃ丁寧。

A 「夢」の定義にはいろいろあるんですよ。「自分とキャラが恋愛する」だけではなく、「作中に存在しない自作のオリジナルキャラと既存キャラが恋愛する」ものもあります。

B 一対一の恋愛にならない「夢」もあります。キャラと友人関係になる「友情夢」や、最初は誤解から嫌われているんだけど、誤解が解ける「嫌われ夢」とか。

(中略)

――つまり、たとえばですが、私が『ONE PIECE』を読んで「麦わらの一味に入りたいな~」と思うのは……?」

B 一般的にはそう呼ばないかもしれませんが、「夢」概念をインストールしている立場からすると、「夢だな」と思います。

て、丁寧……!「夢概念」という言葉が出てくるの、信頼できる。それぞれのガチ恋相手の話以外にも、「夢」ジャンルとの出会いとその変遷などの話もされていて面白かった。刀剣乱舞と安室透はやっぱり転機だったんだなあ。

 

ユリイカ2020年9月号 特集=女オタクの現在――推しとわたし

ユリイカ2020年9月号についてはこちらのnote

がわかりやすいので詳しい説明は省略する。夢創作への言及は

  • 吉澤夏子「<私>の性的主体性 腐女子と夢女子」
  • 汀こるもの審神者なるものは過去へ飛ぶ それは歴史の繰り返し」
  • 青柳美帆子「オタク女子たちが『自重』してきたもの ネットマナー、半生、夢小説」

の三本です。

 

ゆめこうさつぶ!~庭球日誌~

私も通った夢創作内の一大ジャンル「テニスの王子様」の夢小説を題材に夢小説について考察した同人誌。2014年にweb再録されたので、無料で読めます。「腐女子と夢女子の立ち位置の相違」やユリイカの「<私>の性的主体性 腐女子と夢女子」でも文献として挙げられているもの。後日webサイト上に追加された補足ページ

からもわかるように、ここでは夢主=誰にでもなり得る誰か(キャラクター性を極力排除し、読み手が自己投影をしやすくした、いわゆるモブキャラに近い平凡・無個性夢主と呼ばれるタイプ)であると定義されている。ので個性の強い夢主や男夢主、無機物夢主を扱っている人の視点は全く含まれていない。

夢小説の読み手はおそらくほとんどが女性であるだろう。女性が夢小説を読むとき、名前変換対象を「誰にでもなりうる誰か」すなわち「誰にでもなりうるならば、私でもありうる」存在として認めるには、もちろんその存在が女性として登場してくるのでなくてはならない。
けれども女性の読み手にとっては、男主人公は異性であるがゆえに決して「私ではありえない」存在である。*19

このへんとかは同意できない。私はこういうタイプ

キャラクターに恋する私も、隣のクラスのあの子も、キャラクターに埋められる僕も、キャラクターカップルを観測する俺も。すでにこときれたアタシも、道行く猫もモブおじさんも無機物も、作者がそれを夢だと思って創作すればみんな夢主人公になり得るのだ。 だからキャラクターと付き合っても、殺しあっても、一緒に死体を埋めに行っても、街角ですれ違っても、週に一度カフェでやりとりしても、家族になっても、別れても、崇拝しても、村を焼かれても、広い世界の中で一度たりとも出会うことがなくても、それは夢になれる。

の夢者で、夢は限りなく自由であってほしいと思っているので……。ちなみに女審神者にまつわる2015年のこの対談

で「Pixivには名前変換がない」と言われてから5年!Pixiv(ブラウザ版)に単語変換機能が実装されたよ!やったね!(祝!2021/04/27よりアプリ版でも単語変換機能が使えるようになりました!

 

オトコのカラダはキモチいい / 二村ヒトシ金田淳子・岡田育

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正直この本について言及するかすごく迷った。何故ならここでの夢創作に関する言及が、おそらく下調べなしで語られたあまりにも偏見にまみれた雑なものだからだ。

金田腐女子の中にもいろいろな意見があると思うんですけど、「仲の良い男同士の間に女の自分が入りたい」と思っていない人が多いと思います。「かっこいいキャラとつきあいたい」って思うタイプの人たちはBLとは別に「ドリーム」と呼ばれる作品で楽しんでいますからね。もちろんそういう楽しみ方もありだと思うのですが、個人的には、良さがまったくわからなくて。「キャラクターのいる二次元に、三次元の自分は入らないでしょ!」と思ってしまう。それに、二次元かどうかにかかわらず、自分が入ると世界観が壊れてしまうじゃないですか。
二村:自分が入り込むと、その世界観が完結しなくなるってことですね?
金田:そうです。自分が入り込んでしまうことで、私が好きだったそのキャラと世界観が違うものになってしまう。(中略)まあそれ以前に、私はそのキャラを愛したいだけであって、そのキャラに愛されたいわけではないという気持ちもありますね。
岡田:私もドリームは苦手だなあ。自己評価が低いせいでしょうが……。もしも私が超絶イイ女だったら、と夢想する前に、貴様ごときがおこがましいわ!って自分に腹が立っちゃって、没入できない。

こんな話をしているのに、そのすぐあとに

金田:私が作中に入るんだったら、キャラを路地裏で待ち構えて、痒い所に手が届くような、至れり尽くせりの輪姦をする、モブのチンピラにはなりたいを常々思います。

と書かれていて「いや夢やんけ!!!」になった。(これは私の思想なので押しつける意図はありません)まあこの本自体が2015年に発行されたもので、著者の一人である岡田育さんも

 

昨年Twitterでこんな風に仰っているので(詳しくはTwitterに飛んでツリーを見てね)……。仕方がない……それにしても悲しい。BLも好きだからこそ、同じfanfictionの一種である夢創作についてよく調べずに商業レベルの出版物に載せられてしまうの悔しいよ~!

 

Practicing Shōjo in Japanese New Media and Cyberculture: Analyses of the Cell Phone Novel and Dream Novel (2019) / Kazumi Nagaike and Raymond Langley

doi.org

2000年代の技術革新とともにインターネット上で発展した新しいタイプの小説――携帯小説」と「夢小説」に着目し、サイバーカルチャーにおける「少女性」や「私」のアイデンティティ、そして「私たち」が属するコミュニティの特殊性についてまとめた論文。

携帯小説と夢小説に焦点を当てた論文、ありそうでなかったしこの二つが並べられることには納得する。何故ならこの二種類の小説には文化として重なっている部分があるし、ともにTwitterなどで「黒歴史ネタ」や「大喜利」として消費されがちなものだからだ。

私は個人サイトを立ち上げてからずっとPCでサイトを作成し管理してきたので、携帯サイトは全く触らずに今日まで来た。しかし様々な携帯電話向けのホームページ作成サービスが登場したことで、確実にこの世の夢創作の数は増加した。
例えばフォレストページやnanos、占いツクール。すでにサービスが終了しているがxiriaなんかも人気があった。

本論文内では、Dream Novelという夢小説専用投稿サイトの作品や読者からのコメントが引用されている。2013年には存在していたサイトらしいが、初めて知った……!サイトのキャッチコピーが

女の子は誰だってヒロイン……。

いつだって恋して夢を見ていたい……。

あなたの、ドリームノベルで叶えてみませんか?

 

 

なので、女主人公専用投稿サイトというか、「その夢叶えてしんぜよう」からの系譜を感じる。
2019年の論文内でこのサイトを「最大の夢小説投稿サイト」と記述してあるのはどうなんだろう?と思ったりもしたが、Pixivに名前変換機能が実装されたのが2020年になってからだから……まあ……。

 

この論文内では、夢小説についてこんな風に説明されている。

Dream novels are works mainly published on the web, in which readers may substitute their own names for that of a designated character. Before starting to read, the reader has the option, by means of cookies or JavaScript, to record a name of their choosing which will automatically be inserted as the name of one of the characters. This practice began around 2000. The term “main character” is used to refer to the designated character whose name can be replaced, even though this character may not be the actual protagonist of the dream novel. Presumably this so-called “main character” is selected as the candidate for name substitution because he or she or it readily serves as an entry by which the reader can identify with or transfer feelings into the story. The term “heroine” is also frequently used because these name substitutions allow the reader to make another, male character her love interest. *20

夢小説は主にウェブ上で公開されるもので、読者が自分の名前と作品内の特定のキャラクターの名前とを置き換えることができる。読み始める前にcookieJavascriptを使って自分の好きな名前を登録しておくと、小説内の登場人物の名前として自動的に挿入される仕組みになっている。これは2000年頃から始まった。名前を置き換えることができるキャラクターの呼び名として「(夢)主人公」という呼び名が使われているが、そのキャラクターはその物語における実際の主人公ではないこともある。おそらくこの「主人公」は、読者が物語に共感したり、感情移入したりするための入口になりやすいため、名前を代える候補として選ばれているのだろう。また、これらの仕組みを使って読者が別の男性キャラクターを恋愛対象にすることができるので、「ヒロイン」という言葉が使われることもある。

テクノロジー発展によって可能になった新しい物語について主として述べられているので、「夢小説の仕組み」や「それによってなにが可能になったか」についての言及が多い。上記の引用部分で男性キャラクターとのヘテロな恋愛を可能にするから「ヒロイン」と呼ばれることもあるよ~と書かれているが、この論文内では読者の性別を女子に限定していない(少女性がテーマなのにhim/herと書かれている。)

また「(夢)主人公」というアバターを用いることで社会的・肉体的制約から自由になることに触れ、これをイントロで例として挙げた草薙素子のように「肉体を失うこと・パソコンやタブレットなどの電脳世界と融合することを恐れなくなった」=「cybanetic shoujo(サイバネティック少女)」と言い表しているのも面白い。

有料論文なので、もっと詳しく知りたい人は買って読んでね。

 

まだ読めていなくて読みたいもの

Queer som doujinshi: En fallstudie av Yonezawa Yoshihiro Memorial Library / Watanabe, Yukをna

Liksom Kinesella (2000) problematiserar Tagawa (2009) att otaku i många fall
förknippas med manliga otaku och att det inte finns mycket forskning om kvinnliga otaku. Ueno (2007), en forskare inom feminism, uppskattar hur kvinnliga otaku med intresse av homoerotiska relationer mellan män kan identifiera sig med kategorin fujyoshi (腐女子). Tagawa (2009) likställer kvinnliga otaku med fujyoshi, men det ska påpekas att kvinnliga otaku inte är en homogen grupp. Yumejoshi (夢女子) syftar till exempel på kvinnliga otaku som drömmer om romantiska relationer mellan sig själva och manliga fiktiva figurer.

論文内に言及があるのは観測したが、デンマーク語が読めないので読めずにいる。"drömmer om romantiska relationer"だからキャラクターと恋愛関係を構築するものとして定義されてるっぽい。

 

キャラに恋するオタク女子――『銀魂』関連記事にみる自己肯定と承認欲

この明治学院大学長谷川ゼミ八期生卒業論文一覧ページにある「キャラに恋するオタク女子――『銀魂』関連記事にみる自己肯定と承認欲求」という卒業論文で「夢女子」と「腐女子」への言及があるらしい。

 

The Fanfiction Reader: Folk Tales for the Digital Age / Francesca Coppa

2017年に発行されたデジタル化時代におけるファンフィクション文化とその読者について書かれた書籍。

More recent fans talk of one shots (vs. serials) and have developed genres like the alpha/beta/omega (A/B/O) universe, where sexual roles have a biological basis and are adopted from the study of animal behaviors, or imagines, self-insert teen fantasies ("Imagine being friends with Catwoman and your father, Bruce Wayne, catches you while stealing jeweks from a rich family," "Imagine passing notes to Harry in class"). The point here is not to catalog all the various tropes and genres, which I couldn't possibly do anyway, but to argue that fanfiction is written within and for particular communities that have highly specific expectations for fiction, which can be seen in their elaborate vocablary and critical literature, which hans call meta. (P9, Introduction)

Google Booksで少し試し読みしてみたが、英語ファンダムにおける夢小説(と似た文化:x-readerやself-insert, original characterなどと呼ばれる)についていくつか言及されているのを見つけた。

While fandom has back-formed the labels "Gary Stu" or "Marty Stu" to describe a male self-insert, these terms haven't had the same chilling effect. Even today, some fans worry about having their original female characters labeled as Mary Sues, which is to say as unrealistic, poorly characterized fantasy figures. (P. 48 The FBI Agent's Tale)

これはスタートレックのファンダムに存在する「メアリー・スー」とその男性版の「ゲイリー・ステュー」や「マーティー・ステュー」の扱いの不均衡さについて触れた部分。ポップカルチャーファンダムにおける性差の話は世界共通なんだな~。

 

ひきこもりの青年期女性クライエントが社会とのつながりを形成するまで

doi.org

検索で引っかかってきたんだけどまだ読めていない。アブストに「クライエントが没頭していた架空世界」とあるので、その辺りで言及があるはず。

 

宝塚・やおい、愛の読み替えー女性とポピュラーカルチャーの社会学ー / 東園子

直接「夢創作」について言及はされていなさそうなのだけれど、文化として「夢創作」について言及するのであれば読んでおいたほうがいいかなと思っている。

 

おまけ:「外」から見た「夢」に関する資料になりそうなもの

同人用語の基礎知識:夢小説

メアリー・スーはデジタルな夢をみるか

夢小説の生誕とともにあったと言われるキャプテン翼全盛期を観測しておられた方のエッセイ。メアリー・スーに関しては、「最初にメアリー・スーという名前を生み出した」とされるポーラ・スミスさんのインタビューがここで読めるよ。

 

おわりに

去年から放置していたこの記事に手をつけたのは、2021年にもなってTwitterで「猿でもわかる同人マナー」のURLが回ってきたりmonokakiというメディアが2018年に投稿して軽く燃えた「君は知っているか、占いツクールという投稿サイトを」という記事を何故か全くアップデートしないまま投稿したのを見たからだ(2021年01月18日午後4時頃、その記事は非公開になった)。内容としては「夢小説文化の凄いところは、職場の女子たちの反応からもわかる通り、一定の年齢になると卒業し……」みたいな、「現在進行形で存在しているのにもかかわらず過去のものとして葬り去られネタにされる」いつものやつ。

まだ一月なのに……世界……どうして……?

これは昨日フォロワーさんが投稿したnote記事なのだけれど、ここで述べられているように夢創作はいまでもひっそりと隠されているものが多く、存在を過去のものにされがちだ。私は夢創作もBLも好き。だからこそすでにたくさん文化として論じられているBLのように、夢創作も文化として記録に残ってほしいと思っている(夢とBLは対立するものではないので本当はあまりこういう言いかたもしたくはない)。いま現在も夢創作は行われているし、個人サイトにもPixivにもその他の場所にもたくさんの作品が存在しているものだから。

(昨年起こった諸々に関する運営の対応的にnoteを使いたくはなかったのですが、他に使い勝手がいいものを見つけられていないのでとりあえずここに載せます)

 

他にオススメのものがあればコメントやここで教えて頂けると嬉しいです。

marshmallow-qa.com

 

 

*1:吉田・文屋 , p.62

*2:吉田・文屋 , p.65

*3:吉田・文屋 , p.72

*4:久保(川合), p. 40

*5:久保(川合), p. 46

*6:久保(川合), p. 44

*7:Strmel, p.6

*8:「自己投影」とはまた少し異なる概念だと思うのでとりあえず直訳で。

*9:Strmel, p.7

*10:Strmel, p.21

*11:Strmel, p.38

*12:田島綾乃, p.32

*13:田島綾乃, p.32

*14:成田, p.108

*15:成田, p.108

*16:成田, p.109

*17:吉光, p.272

*18:p. 57

*19:2.3: 男主人公は〈誰にでもなりうる誰か〉ではありえない

*20:P.118

夢創作とわたし

 

夢創作は技法でジャンルで、人生だ。

いわゆる商業BLや百合専門レーベルのように独自の商業的なマーケットが存在する他創作に比べ、夢創作はどうしても二次創作に依存しやすい。*1

それに加えて長らく「夢は特殊だから隠れるべき」のような自治ルールを掲げたムラ社会の存在や、「#夢小説あるある」と言いながらどんな創作にでも存在する流行りのテンプレートや技術的な拙さをあげつらって馬鹿にする存在の影響で、夢創作は文化としての記録があまり残されていないのが現状だ。*2

Twitterの夢者たちがnotewebアンソロ企画でそれぞれの夢創作について記しはじめたのを見て私も書きたいなとは思ったが、なにしろもう人生の半分は夢創作に費やしているので記憶が定かではない部分も多く、途中で放置してしまっていた。
そんな折に新星急報社さんのnote「夢と夢の人々とわたしの話」を読み、驚いた。近年目にしたなかでもかなり夢に対する解像度が高いうえに扱う手つきがフラットで、非夢者ならではの客観性がとても興味深かったからだ。そして改めて私もちゃんと夢創作というものと向きあいたいなと思い、この記事を下書きから引っ張り出してきたというわけだ。*3

ここでは、大きく分けて
①私が夢創作と出会った経緯(1. 二次創作、そして夢小説との出会い / 2. 夢小説サイトと私 / 3. 夢小説と私(ジャンル変遷))
②いま現在のわたしにとっての夢創作(4. 私にとっての夢小説))
の二点について書いてみたいと思う。私は主に小説を書く字書きなので、言及するのは主に夢小説についてになる。年代的にはゼロ年代のオタク。

 

1. 二次創作、そして夢小説との出会い

私が生まれて初めて「夢小説」を書いたのは、小学六年生の原稿用紙百ページを使った作文の課題だったと記憶している。「わたし」とその頃よく遊んでいた友人たちが魔女になるために月まで試験を受けに行く、短編ファンタジー小説「わたし」が「わたし」のために世界を構築し、「わたし」を主人公として書いた物語だった。*4
そうやって小説として出力する前から、私は脳内でカードキャプターになって空を飛んだりデジモンと友達になったり、ハンター試験を受けたりMAHO堂でバイトしたり、ワードローブを通ってナルニアの国へ行ったりしていた。夢創作に出会うずっと前から、「夢思考」もしくは「夢概念」のような想像(もしも自分がその世界に生きていたらどうするか、なにをしたいかというような想像)をして生きてきたのだ。

そんな私が「夢小説」という概念を知ったのは、もう少しあとになってからのこと。確か、中学生になってからだったと思う。

ただ一つそれまでと違ったのは、中学生の私の前にはパソコンとインターネットが存在していたということだ。*5
きっかけはもう覚えていない。しかし広大なインターネットの世界で、私は「二次創作」という文化と出会った。

生まれて初めて目にしたのは、テニスの王子様のBL小説だった。とにかく物語に飢えていた私は、戸惑いながらもそのサイトの作品を片っ端から読み、Indexに書かれた「非公式二次創作サイトです」の文字によって「二次創作」というものの存在を知ることになる。
「二次創作」と出会ってからその世界にどっぷりハマるまで、そう時間はかからなかった。そのサイトが登録しているサーチに飛べば、一生かかっても読みきれないほどの「二次創作」があったからだ。自室ではなくリビングの一角で寝起きしていた私は、夜な夜な真っ暗な部屋の中で息を潜めてリビングに置かれたパソコンを立ち上げ「二次創作」の世界に浸るようになり、ついに運命の出会いを果たした。
数日で「サーチで端から全部読んでいくより、好みのサイトがLINKしているサイトを巡ったほうが好みの作品に出会える」と気づいた私が、いつものように小説へ繋がるリンクをクリックしたとき。突然、ポップアップが現れたのだ。


「あなたの名前を入力してください」

正直に言うと、めちゃくちゃ焦った。インターネットに本名を書いてはいけないということぐらいは知っていたので、個人情報を抜かれるとか架空請求されるとか、とにかく大変なことに巻き込まれてしまったと思って半泣きになりながらポップアップを閉じた。
私の恐怖に反して、そこに現れたのはごく普通の二次創作小説だった。ただ一つ、それがキャラクターと原作には描かれていない「誰か」の物語だったということを除いて。
そう、それがJavascriptを使って名前変換を行うDream Maker 1を導入した、夢小説との出会いだった。

 

2. 夢小説サイトと私

ヒカルの碁」を読んで近所の碁会所に乗り込み、「HUNTER×HUNTER」の単行本を片手に水見式を行い、「テニスの王子様」を読んで硬式テニス部に入ることを決めたオタクである私にとって、夢小説はあまりにも眩しく、同時に驚くほど身体に馴染んだ。
これまで自分の頭の中だけで夢みていたことを具現化し、それを他人と共有する方法がある。そう知って、私はすぐに夢小説を書き始めた。

テンプレートサイトや素材サイトを巡り、Dream Makerの設置方法を何度も読み直しながらメモ帳にタグを直打ちした。HTMLがなにかよくわからないまま検索して出てきたソースコードを使い、がむしゃらにwebサイト作りに励んだ。そうして数ある無料レンタルサーバーの中からFC2を選び、2010年10月21日に夢小説サイトを立ち上げた。秘伝のソースを継ぎ足し、Dream PHP導入のためサーバーを替えたりしながらも、このサイトは今日まで続けている。

 

3. 夢小説と私(ジャンル変遷)

私が本格的に夢小説を書き始めたきっかけは、二人の男たちとの出会いがキッカケだった。

家庭教師ヒットマンREBORN!という漫画で五巻の表紙を飾る、雲雀恭弥

そしてアイシールド21という漫画で九巻の表紙を飾る、蛭魔妖一。

そう、あの多くのオタクを狂わせたと言われる「咬み殺すよ」が口癖の並盛中学校風紀委員長の雲雀恭弥と、泥門高校アメリカンフットボール部泥門デビルバッツの地獄の司令塔、蛭魔妖一である!
今思い返すと「中学生と高校生か……赤ちゃんだな……」と思ってしまうが、当時の私はこのアウトローな男たちにどうしようもなく魅せられ、心を奪われてしまった。*6
だから私は書いた。原作既知異世界トリップ夢小説を。*7


個人サイト運営開始とともに公開したこれらの作品は、上記ツイートで述べているように小説としての拙さや若さゆえの思いきりが恥ずかしく、今はもうサイトからは取り下げてある。しかし私の夢小説のスタートは、「自己投影型恋愛夢小説(with暴力)」だった。
ただこの頃の私は夢小説の中にも分類があることを認識していなかったので、自己投影夢だと思って書いていたわけではない。おそらく名前変換機能をつければ、どんな突拍子もない設定の夢主人公が出てきてもそれは夢小説である、ぐらいの認識をしていたと思う。*8
個人サイト運営開始時に私が連載として執筆していたのは:

 ・家庭教師Reborn! 原作既知トリップ(女夢主)
 ・アイシールド21 原作既知トリップ(女夢主)
 ・HUNTER×HUNTER 原作前既知トリップ(女夢主)
 ・夏目友人帳 友情+恋愛夢(女夢主)
 ・ファイブ 友情+恋愛夢(男装女夢主)
 ・青春攻略本 友情+恋愛夢(男装女夢主)
 ・Persona 3 友情+恋愛夢(男主人公と対をなす女夢主)

という感じで、そこから戦国BASARATIGER & BUNNY、ヘタリア無双シリーズ……という感じで手当たり次第に書きたいものを書いていった。いわゆるよろず/雑食サイトと呼ばれるタイプだ。
最近はBLDや世界観夢*9をメインに書いているので、ここまでヘテロの恋愛夢ばかり書いていたのかと我ながら驚く。男装夢主を多く書いていたのは、単なる好みというより思春期を迎え女体と向き合いあぐねていたことが影響しているのだと思う。
このように、夢小説を書きはじめた当初(2000年~)の私にとって夢小説は「原作のキャラクターを相手に(主に恋愛感情をともなう)関係性を構築する、名前変換が可能なweb二次創作小説」だった。

読み手としてのぼんやりとした記憶では、テニスの王子様ホイッスル!銀魂あたりもたくさん夢小説が存在していたような気がする。あと2000~2005年頃にはやたらとバトロワパロの夢小説が存在していたイメージがある。おそらく映画バトル・ロワイアル(2000)の影響だとは思うが、スポーツ青春ドラマ系の作品でよく血で血を洗う戦いをしていた。あの日一人生き残ってしまい親御さんから頂いた、同級生の遺品の眼鏡はまだ私の心の奥底に眠っている。
それと同じぐらいスポーツもので流行っていた印象があるのが、嫌われ夢だ。だから最近の悪役令嬢転生ものや審神者、監督生の嫌われ創作を目にすると懐かしい気持ちになる。*10

こうして個人サイトをメインに細々と夢創作をしてきた私の視野をグッと広げてくれたのが、Twitterだった。昔なら@now_fes、最近だと繋がりたいタグを通じて、それまで見たこともないぐらいたくさんの夢者と出会い、夢者の数だけ夢創作があることを知った。

 

4. 私にとっての夢小説

私と夢小説の出会いと変遷を回顧して長々と書いたので、最後にいま現在の私にとって夢小説がどういうものか考えてみようと思う。


私にとって夢創作は文字通り作者にとっての「夢」であり、限りなく自由な二次創作の形態の一種である。夢小説だけではなく夢絵や夢漫画、夢コスや夢香水など夢創作の種類も多様化している今、名前変換機能がないと夢ではないというのはあまりに乱暴だろう。*11
より個人的な感覚の話をすれば、私はトリップ主のように外部から現れる場合を除いて「原作で描かれない誰か(夢主)を挿入する」というより「そこにいたかもしれない誰か(夢主)を彫りだしている、別の角度から写真を撮っている」イメージのほうが近いかなと思う。
それは言い回しの違いでは?とも思うのだけれど、私が夢主を「挿入」するとき、その夢主は世界にとっての「異物」であるものとして扱うことが多い。反対に、夢主を「彫りだす」ときには「夢主は最初から物語に存在したがスポットライトが当たっていなかった」ものとして扱っている。いやこれ感覚の問題だな。
なんにせよ、「原作のキャラクターを相手に(主に恋愛感情をともなう)関係性を構築する、名前変換が可能なweb二次創作小説」からスタートした私の夢創作は、二十年の時を経てより自由なものになったと言える。

夢小説の構造や夢主についてはまだ自分でも考えがまとまっていない部分があるので、ここで書くのは割愛する。「夢小説について考えたこと(元「夢小説とは二次創作上の「横紙破り」なのではないか」)」というツイート群や「「名探偵」と「夢主」は似ているし「お前面白いな」問題は夢小説における「後期クイーン問題」だという話」というブログ記事が面白くてオススメ。あとは2016年に

 

みたいな分類表を作っている人もいるよ!

夢創作を書き手としても読み手としても消費している立場から言えば、「作者がそれを夢だと言ったらそれは夢」だとも思っている(同じように、作者が夢じゃないと言ったら夢じゃない)。これがとても大雑把で乱暴な言いかたであることは百も承知だ。でもあなたの作品の創造神があなたである以上、世界をどう構築するかはあなたが決めていい。

キャラクターに恋する私も、隣のクラスのあの子も、キャラクターに埋められる僕も、キャラクターカップルを観測する俺も。すでにこときれたアタシも、道行く猫もモブおじさんも無機物も、作者がそれを夢だと思って創作すればみんな夢主人公になり得るのだ。
だからキャラクターと付き合っても、殺しあっても、一緒に死体を埋めに行っても、街角ですれ違っても、週に一度カフェでやりとりしても、家族になっても、別れても、崇拝しても、村を焼かれても、広い世界の中で一度たりとも出会うことがなくても、それは夢になれる。

BL創作において「スーパー攻め様は必ずオークションで受けを落札するべき」や「女装攻めはBLじゃない」「セックスしてないならBLではない」なんて言うのがナンセンスであるように、その作品の作者以外が「〇〇は夢じゃない」と言うことに意味はない。*12こう言うとやっぱり他の夢者さんたちの「夢とは可能性だ」という言葉がしっくりくるように思う。*13

少なくとも私はそう思って今日も夢をみて、創作している。自由で楽しい夢創作を愛しているから。 

 

感想や思い出などなにかあればこちらへ。

odaibako.net

noteを使いたくはないがnoteで夢創作の話をしている方がたくさんいらっしゃるので是非読んでほしいという矛盾を抱えている。

note.com

 

*1:もちろん一次夢創作(主に名前変換が可能な一次創作小説のことを指すのだと思っている)というものも存在するが、比率としては圧倒的に二次創作のほうが多い。夢創作とインターネットバトルについては「ひっそり夢女と古代夢小説文明の思い出 - とてもうるさい」や「人によって「夢小説」の範囲が違うのは、大富豪のローカルルールみたいなもの説 - 五風十雨」などのブログエントリや「夢小説を「黒歴史」と見下す風潮」のツイートまとめがわかりやすい。もっと深淵を覗きたい人は「夢と女審神者」について検索するといいかもしれないが、こちらは具合が悪くなるレベルの悪意も混ざっているのであまりオススメはしない。

*2:オトコのカラダはキモチいい」、「ボクたちのBL論」など、BLに関して論じ、学問している書籍は多い。夢創作では、2013年にゆめこうさつぶ!さんから「ゆめこうさつぶ!~庭球日誌~」という同人誌が発行されているが、観測範囲に偏りがある以上夢創作というジャンルそのものに関する言及として扱うのはいささか乱暴だ。夢小説について書かれた論文「腐女子と夢女子の立ち位置の相違」にも目を通したが、「これは夢文化の一面」ではあるが全てではないなという感じ(当たり前)。

*3:cakesとnoteの一連の騒動において運営の対応が信頼できないな~と思い、noteに載せたものをはてなブログに移動させてきました。

*4:この頃私はおジャ魔女どれみにハマっていたので、今から思うとあれは一時創作の形をとった二次創作だったと思う。しかしもちろんこの頃は夢小説どころか二次創作の存在すら知らなかった。

*5:パソコン学習自体は小学校で開始し、小学校高学年にもなると子供用のホームページビルダーサービスを使って特に中身のない自分のwebサイトを作成していた。多分この経験のおかげで夢創作個人サイト作成へのハードルも低かったように思う。

*6:こうやって並べると、「どちらもバリバリのホモソーシャルを暴力で支配し、頭はいいが泥臭い戦いもする」という共通点があって面白い。原点というか、オタクとしての自我の芽生えを感じる。

*7:原作既知異世界トリップとは、「原作の知識を保有した状態で異世界から原作世界にトリップする」物語である。原作知識なしトリップも存在する。

*8:後述したように、私が夢創作そのものについて考えるようになったのはTwitterを始めてからだ。ちなみに夢創作の話をする場合自己投影やオリキャラについての話はつきものなのだけれど、ここでは割愛する。

*9:BLDとはBoys Love Dreamの略で、男夢主と男キャラクターの恋愛もしくはそれ以外の何かしらの関係性を描いたもの。そこからさらに男主攻め/男主受けなどに分類される。世界観夢は、原作の世界観を使用して書かれた夢。原作に出てくるキャラクターが一切出てこず、その世界で生きている誰か(夢主)の生活や思いのみを描いたものも世界観夢である(と私は思っている)。

*10:バトロワパロは、1999年の小説もしくは2000年の実写映画「バトル・ロワイアル」のパロディ創作で、さっきまで友達だったキャラクターたちと殺しあいをさせられるもの。嫌われ夢は夢主を陥れる第三者せいや勘違い、もしくは単純に夢主に非があってキャラクターたちから嫌われる夢創作である。嫌われ夢については、「不動峰中学校と嫌われ夢小説の話」というnoteが面白かった。

*11:もちろん名前変換機能が夢創作にという文化にとって大切なものであるということは否定しない。最近ではPixivに単語変換機能が追加されたり、PrivatterTumblrWordPressにも有志が作った名前変換機能つきのテンプレートが存在していて、ありがたい限りである。ただ夢絵や夢漫画、紙媒体での夢本を愛する夢者たちがたくさん存在する以上、「名前変換が可能じゃないと夢じゃない」というのは乱暴だよねという話。

*12:ここでBLを例に挙げているのは、私がBLも愛するオタクだからで、別に夢とBLの対立構造を煽ろうとしているわけではない。そもそもそんな対立構造はない。人類、男主夢を読め。夢とBLについては2017年に書かれた「腐女子こそ夢小説を書くべき論」などが面白いので興味があれば読んでみてほしい。

*13:「私にとって、夢小説は可能性の場です」/ 佐十さんのnote記事「夢創作が好きなあなたへ」より、「夢という可能性」/ 花子さんのwebアンソロジーエッセイより